先週から
自分のやっていることの
予測→結果(事実)→フィードバック
を1日単位でやっています。
理由は
あまりに忙しくて
やろうとしている事が毎日毎日できなくて
先伸びになっている状況が気持ち悪くてしょうがないから。
決して怠けているわけではなくて
むしろ、すっげー働いてる。
朝早くから、夜寝る前まで
家事とこどもの用事以外は
PCに向かっている。
(歌の練習は料理をしながら)
それなのに
一番やるべきことにたどり着かないことが多いのです…。
腹立たしいぐらいに!
[quads id=1]いや、これでも
かなりやる事や雑用は捨てたし
物も捨てたし
(家族で一番持ち物が少ないのはわたしだ)
7つの領域でいうところの
第3の領域を大切にするってのは
意識して、それなりにうまくいってた。
でも、最近はそれじゃもう間に合わないとこまできちゃったというか。
なんで同じこと繰り返すんだろうなーって
思う訳です。
そうすると
どんな感情が芽生えるかっていうと
なんかこう…
おしっこがいっつも残ってるみたいな?
残尿感っていうの?
「あ~いつもなんか残ってるよね~(*´Д`)下に…」
という
非常な気持ち悪さと、残念感を自分に感じるようになります。
それがたまってくると
自分をさげるようになるんだよね。
なんていうのかな?
自分で考えたことって、自分との約束だから
それがいつも守れないっていうのは
無意識のうちに自分の中の自分に対する信頼を下げていく訳です。
これが、そこはかとなく不快。
これが当たり前になると、それを感じることすらなくなる。
ちょっと前の私がそうだったから。
事実ではなく
妄想をもとに
予測をたてるもんだから
いつも同じことをやり
いつも同じ結果をまねいている
そんな気がした。
妄想というのは
よくいう、ちょっと変な想像というわけではなくって。
言葉や量や結果、数字を、そのまま認識できず
勝手に意味づけしたり、解釈するってこと。
1あるものを2に感じたり。
1人に言われたことを全員に言われたと変換したり。
それが、妄想。
でもって、わたしは、妄想族の飛ぶ族なので
「見てない・忘れる・水増し癖」があるのは自覚しているんです。
ほんと、40才過ぎてから、ようやく仕組みがわかってきたんですけどね~(*´Д`)
まわりの皆様、ご迷惑をおかけしました。
そして、いまも迷惑かけてるんだろうなー(*´Д`)
この「見てない・忘れる」いい事まで忘れる、については
この記事とか、とってもわかりやすいなあと思う。
↓
「愛情不足?後者さんのこども時代は…」
https://ameblo.jp/yuruyurukame/entry-12376095056.html
時間がとぶ、意識が地下にもぐる、1つにフォーカスする飛ぶ族は
忘れるから、自分がやった事もなかったことにするし
相手がやってくれたことも、なかった事にするし
見てない分をカウントしないし
忘れているから、おぼえている記憶だけから事実をねつ造する。
そんな感じです。
(あ、もちろん、いい部分も同じぐらいありますよ)
その結果どうなるかというと…
ねつ造したことから、計画し、
計画を実行し(当然うまくいかない)
穴だらけの記憶で事実をねつ造して評価する(笑)
で、まあ、それでもいい人はいい訳で。
でも、わたしはやっぱりそれは嫌だなと思った。
自分を信頼したいし、見えないものを見たいと思ったから。
[quads id=1]
それでまずは
事実と妄想をわけることにした訳なんです。
どうやるかっていうと
・予測する
・その結果の事実を並べる
・その結果で気づいたことを書く
これを毎日やります。
(ちょっと自己流が入ってますが)
で、これを一週間やってみたら…
なんと
たいがい自分がたてた計画の半分しかできないという
未達成のパターンが判明(*´Д`)
予定がない日 4項目
予定がある日 2項目
1日でる日 1項目
しかできない、ということが判明したのー。
もう、ほんとにほんとにワンパターンでおかしすぎるww
これがわかるのがフィードバックの威力。
そりゃ忙しいうえに
いつも計画が未達成なんだから
残尿感でいっぱいな訳だよねー(*´Д`)
じゃあ、これからどうするかって事なんだけど
例えば週単位、1か月単位でみて
・得たい結果に関係がないものは削除
↓
・毎日のタイムログをとる(今度は時間のフィードバックのため)
↓
事実誤認の修正
↓
それでも出来ないものは
半分だか3分の1だか斬るしかねーべ…。
そもそも、しょっぱなから出来てないんだしな。
まあ、こういう流れになるのかなー?
と思っている。
いつも計画の半分しかできないってことは
単純にいうと
いまやっている事を2分の1以下にしないといけない訳で。
とはいっても
今やってることも「必要だ」と思ってるから
やってるわけで。
でも、本当は必要ではないのかもしれない。
惰性かもしれないし
勘違いから成り立っているのかもしれない。
どうして、私はそうなってしまったんだろう?
そこをわたしは見たいし
切り込みたいなと思っている。